2023年春、GWに直木賞受賞作「銀河鉄道の父」が映画化されるにあたって原作の同名小説「銀河鉄道の父」を読んでみました。
銀河鉄道と言えば頭にすぐ浮かぶのは、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」。
「銀河鉄道の夜」の他に「注文の多い料理店」や有名な詩「雨ニモマケズ」は教科書にも取り上げられたり、アニメ化されたりしているものもあり、文学に興味のない人でも知っています。
「銀河鉄道の父」はタイトルの通り、宮沢賢治のお父さん目線で描かれた作品です。
なんとな~く「真面目な人なんだろうな」と思っていた人物像が、「銀河鉄道の父」を読むことで「宮沢賢治って、ほとんどアクティブニート!」とわかります。
ちょっぴりクズな天才 宮沢賢治を映画で演じるのは、菅田将暉さん。
そして「まさか近親相〇?」と身内からも疑われるほどに宮沢賢治が可愛がった妹のトシを森七菜さんが演じます。
この記事では映画『銀河鉄道の父』公開前に原作のネタバレ感想記事を書いてみたいと思います。
そこで、できるだけ「現代風」に変換してあらすじネタバレを書いています。
映画『銀河鉄道の父』キャスト(登場人物)
- 宮沢政次郎(役所広司) 宮沢賢治の父
- 宮沢賢治(菅田将暉)
- 宮沢トシ(森七菜) 宮沢賢治の妹
- 宮沢清六(豊田雄大)宮沢賢治の弟
- 宮沢イチ(坂井真紀)宮沢賢治の母
- 宮沢喜助(田中泯)宮沢賢治の祖父(政次郎の父)
- 宮沢キン 宮沢賢治の祖母(政次郎の母)
- 宮沢シゲ 宮沢賢治の妹
- 宮沢クニ 宮沢賢治の妹
- 宮沢ヤギ 宮沢賢治のおば(政次郎の姉)
- 八木英三 20歳 賢治の担任
映画『銀河鉄道の父』原作ネタバレあらすじ感想
『銀河鉄道の父』1章 父でありすぎる
宮沢政次郎(役所広司)が23歳の時、初めての子であり長男の宮沢賢治(菅田将暉)が生まれました。
宮沢家は、質屋や古着屋を営む地元でも有数の商家であり、男子がうまれたことに政次郎は大喜びをします。
賢治を見た政次郎は、つい「この子は賢くなる」ともらしてしまいますが、父の喜助からは「質屋に学問はいらない」と言われてしまうのでした。
政次郎は学問に憧れがあったのですが、当時は「生きていくための仕事に必要のないことを学ぶ必要はない。むしろ邪魔だ」という考え方が主流だったんですね。
農家の子どもなど、忙しい時には平気で学校を休み、1人の労働者として家の仕事をしていました。
現代の日本でそんなことをしたら大炎上です🔥
7歳になった頃の秋、賢治は赤痢にかかります。
本来であれば、病人の世話を男性がするなどみっともないと思われてしまうことでしたが、賢治を溺愛している政次郎は、強引に病院への付き添うことを決めてしまいました。
2週間の献身的な看病の結果、賢治は元気になり退院しますが、看病疲れのせいか今度は政次郎は腸カタルになり入院することに。
以来、政次郎は暑い時期にはお粥しか食べられない体になってしまいます。
現在ではあまり赤痢にかかる人はいませんが、当時赤痢は「死ぬ伝染病」でした。
にもかかわらず、家長である政次郎が賢治の看病をしたのは、大変非常識なこと。
質屋の跡取りである政次郎が死んでしまえば、家業は傾いてしまいますからね。
いかに政次郎が父でありすぎたかが伝わるエピソードです。
『銀河鉄道の父』2章 石っこ賢さん
8歳になった賢治(菅田将暉)は、小学校に入学します。
最初は通学路にいる犬に怯えたりしたものの、すぐに慣れた賢治は仲の良い友達もでき、学業においても優秀な成績をおさめ、順調な小学校生活を送り始めました。
賢治が学校に行くようになり、2歳下の妹トシ(森七菜)は、とてもさみしがります。
また政次郎(役所広司)自身も、賢治との会話が減ってしまい、息子を看病した日々を懐かしく思い出すのでした。
そんな中、賢治はいたずらっ子たちとも仲良くなっていきます。
小学校入学から3か月後の事、賢治は「行ってはいけない」と言われていた河原で火遊びをし、火事騒動を起こしてしまいました。
犯人の1人が賢治であるという噂はたちまち町内に広がったものの、賢治は「知らない」と嘘をつきます。
明らかに嘘だとわかっていたにもかかわらず、政次郎は「こんな小さなことで賢治の未来に傷をつけたくない」と不問に付すことに…。
火事で燃えてしまった貧しい家には、いくらかお金を渡せば良いだろうと考えるのでした。
うん、クズですね(笑)
お金に物を言わせて悪事を隠ぺいし、賢治は叱られることもありませんでした。
とは言え、もしかするとお金を渡された貧しい人々はかえって「ラッキー」なんて思った可能性もあります。
政次郎はこれで体面を保てると、自分を納得させています。
数日は家で大人しくしていた賢治でしたが、すぐに悪ガキどもとつるんで遊ぶように。
それから、3年ほどたち4年生になった賢治に変化がおとずれます。
「石っこ賢さん」というあだ名がつくほど、石に興味をもちはじめるのです。
賢治は妹のトシとともに、川や山でめずらしい石をひたすら集めるように。
それは担任の八木英三が「花巻は鉱物研究者には宝の山だ」と言ったからでした。
八木英三は童話『家なき子』を6か月かけて朗読し、賢治をふくむ生徒たちを感動させたこともある教師で、政次郎は彼に好意をもっていました。
八木英三の影響もあってか、賢治がトシに自分が作った童話を聞かせている様子を政次郎は耳にします。
賢治とトシの間では「将来ずっと一緒にいて、賢治が質屋をし、トシはお話を作る人になる」といった約束が交わされていました。
しばらくの後、賢治は相変わらず石を追い求め、トシは家で本を読むようになっていきます。
石に熱中している賢治を見ていた政次郎は「頭の良い賢治の助けになりたい」と自分自身も鉱物学の本を読んだりしました。
1か月、鉱物学の勉強をした政次郎は、1銭にもならないことに打ち込める賢治をうらやましいと感じます。
もしかすると喜助のいうように、賢治をダメにしてしまう可能性を考えつつも、政次郎は賢治を助け、石をいれるためにとねだられた高額な標本箱を買い与えてしまったりするのでした。
その後、八木英三が退職したのを機に、賢治は石の採取は続けながらも、素行が悪くなっていきます。
畑の瓜を盗んだり、学校でもいたずらの主犯になり、新たな担任の怒りを買う事も。
しかし、政次郎は賢治を叱ることはしませんでした。
いたずらはするものの、成績は優秀なままだったため、6年生になった時、校長がじきじきに宮沢家にやってきて、賢治の中学進学をすすめます。
『銀河鉄道の父』3章 チッケさん
その夜、家族会議で政次郎(役所広司)が賢治(菅田将暉)に校長先生の話をすると、すかさず喜助は「質屋に学問はない」と反対します。
けれど賢治の答えは「勉強したい」というものでした。
政次郎は「質屋も学問がなければ潰れます」と喜助を説得。
理解のある父親である自分自身に満足した政次郎は、この上ない幸せを感じます。
こうして賢治は、小学校を卒業後、中学へ進学することになりました。
無事に盛岡中学に合格した賢治は、親元を離れ寮生活を送ることとなります。
賢治がいなくなった家で、政次郎は賢治以外の子どもたちに目が向くようになりました。
次男である清六は、言われたことを守るだけで、従順というよりは何も考えていないように見えてしまいます。
また、賢治と仲が良かった妹のトシ(森七菜)は、やたらと発言するようになり、家庭環境への批判をしだしました。
8月になり、帰省した賢治をみた政次郎は「男の子ではなく男になってしまった」と怯んでしまいます。
また、小学校時代は優秀な成績をおさめていた賢治でしたが、中学での成績は143人中53番と、微妙なものでした。
『銀河鉄道の父』4章 店番
5年後、賢治(菅田将暉)は下から数えた方が早い成績で卒業を迎えます。
しかし政次郎にとって、落第や中退はせずに、良い成績をおさめることが出来なかったという状況は良いことでした。
なぜなら、もし賢治が上位で卒業していたら、高等学校へ進学したいと言い出すに決まっていたからです。
4月になり、賢治は肥厚性鼻炎を患い、手術をすることになりました。
前回と同様、政次郎は賢治の付き添いをかってでます。
入院中、賢治に「進学したい」と言われた政次郎でしたが、さすがに今回は「だめだ」と拒否します。
すると翌日、賢治の病状が悪化し、チフスを発症してしまいました。
数日後には政次郎も感染し、別の病院に入院することになってしまいます。
この時、政次郎はどちらかが死んでしまうと覚悟していました。
長い入院生活になったものの、2人は無事に退院し、春には家に戻ることが出来ました。
そこで、政次郎は賢治に質屋の店番をやらせてみます。
けれど賢治は、店が損をするお金の貸し方をしてしまっただけでなく「すいません」と言葉では謝りつつ、政次郎の教えを拒否するような目をしていました。
賢治に店を継がせたら、潰してしまうに違いないと悩む政次郎は、トシから「お兄ちゃんに進学を許してあげては?」と言われ、腹をたてるのでした。
夏が来る頃、賢治はやせ細り不気味な顔つきになっただけでなく、庭で空を見上げブツブツ言ったり、イチやトシ(森七菜)に「農民は憐れだ」などと熱弁をふるようになっていきます。
そしてある時は、夢中で『漢和対照 妙法蓮華経』を読んだりしていました。
その様子を見ていた政次郎は、このままでは賢治が狂うか出家すると考え、進学を許すことにします。
すると、その夜から賢治は、人が変わったようにしゃべるようになり、食欲も取り戻します。
挙句の果てには、家族の前で「盛岡高等農林学校へ行く」と宣言。
賢治が農民のために進学するのだと知った政次郎は、騙されたように思ってしまいます。
なぜなら、農民が富む=質屋が儲からなくなる ということを意味していました。
すっかり老いて75歳になった喜助は、もはやボケの症状もでており、賢治の進学に反対することもありません。
がっかりした政次郎をよそに、賢治は「がんばります」と嬉しそうにしており、結局翌年の3月、首席で盛岡高等農林学校に合格してしまったのでした。
賢治のことを想い、甘やかしてきた政次郎でしたが、勉強をすることは応援していたものの、質屋は継いでほしかったんですよね。
学習したことを家業に生かして欲しいという気持ちは、賢治には届いておらず、むしろ家業の足をひっぱるような決断をしてしまいました。
まぁ、ここまでは「親の思ったように子どもは育たない」くらいですみますが、賢治の屑っぷりは、ここから加速していきます。
『銀河鉄道の父』5章 文章論
賢治(菅田将暉)に続き、トシ(森七菜)も東京の学校に進学。
2年後には、次男の清六も盛岡中学に合格し、家を出て行きました。
喜助もすでに亡くなっていたため、宮沢家は政次郎(役所広司)、妻のイチ、娘のシゲとクニの4人になってしまい、気落ちした政次郎は、質屋の店じまいを考えます。
「賢治の考えを聞いてみては」というイチの提案により、政次郎は賢治に「卒業したら何をしたい?」と質問をなげかけてみます。
すると賢治は「製飴(セイイ)工場を作りたい」と答えました。
それを聞いた政次郎は、賢治の浅はかな考えに失望します。
賢治は、工場を建てるための資金をすべて父政次郎に出してもらおうと考えていたのでした。
賢治は自分の知識があれば、流行のドロップをより良い製品にし、売ることができると自信満々に語ります。
しかし、ずっと商売をやってきた政次郎には、その考えが甘く思えてしまうんですね。
その上、賢治は「資本金をすべて親が出してくれるのが当たり前」と考え、父親と口論まで繰り広げます。
「自分の力で融資先を探そう」という発想にいたらないところが、賢治の甘ちゃんなところです。
学校に戻った賢治は、学校に残らないかという誘いをうけ、研究生として働くこととなります。
仕事の内容は地質調査で、賢治にとってまたとない話でしたが、給料の額が少なかったため、賢治は政次郎に仕送りの継続を頼む手紙を送ります。
政次郎は、中学の頃からお金をせびってきた賢治に対し、失望しつつも、仕送りをしてやることを決めました。
一方、賢治とは正反対に堅実な生活を送っているトシに対する評価は上がっていきます。
また、トシから送られてくる手紙に文才を感じた政次郎は「トシは職業婦人になったらどうだろう」などと夢を抱くのでした。
その後も、賢治から届く手紙は金の無心ばかりでした。
しかしある日の事、賢治が結核にかかったのではないかと思われる手紙が届きます。
当時、結核は必ず死ぬ病でした。
賢治は学校を辞めて、実家へと帰省してきます。
その半年後には、トシも肺炎にかかり入院することとなってしまいました。
『銀河鉄道の父』6章 人造宝石
賢治(菅田将暉)は「トシ(森七菜)の面倒をみる」と言い、母のイチと東京の病院へと向かいます。
トシにはチフスの疑いもあったため、伝染室(隔離室)に入っていました。
トシは元気そうにしており、個室についてお金の心配をするくらいでした。
しかし賢二にはトシの声ににごりを感じます。
医師の話によると、熱が下がらないことが問題で、念のため伝染室に入れているという説明でした。
賢治はトシに、自分が翻訳したアンデルセンを読み聞かせます。
賢治の読み聞かせを喜んだトシは「元気がでる」と、賢治がつくったお話をねだるのでした。
しだいに賢治は、トシの使ったタオルや下着の洗濯や、排泄物の始末までするようになっていきます。
さらには、病院内のトイレ掃除までするようになり「男の人なのに(くせに)」と話題になっていくのでした。
その時の賢治は、2度もつきっきりで看病してくれた父 政次郎(役所広司)に対する競争心がありました。
賢治の看病の甲斐があってか、トシの熱は突然さがり、退院のめどが立ちます。
そんな中、賢治はトシに「将来は人造宝石を売る」と語ります。
けれど、トシは賢治に「作家になったら?」と、童話を書くことをすすめてきました。
むしろトシに文才があると信じていた賢治は、質屋の仕事を自分が継ぎ、トシに話をつくるようにすすめます。
するとトシは「2人で書こう」と嬉しそうに言うのでした。
将来のことを語る賢治とトシはまるで恋人同士のようです。
政次郎から見たトシの顔はあまり可愛いとは言えなかったようですが、賢治は子どもの頃から「トシはかわいい」と思っていました。
トシと将来の話をしている時、賢治はトシの胸が気になったり、瞳に接吻をしたい衝動に駆られたりしています。
やがてトシは退院することとなり、賢治とともに実家へと戻ります。
清六いがいの家族が揃った事で、政次郎は誰も自立しておらず、隠居も考えられない状況にゾッとします。
この時、政次郎は46歳で、同年代の男性は隠居の事を話題にする年齢でした。
病気をして以来、トシは人が変わったように柔らかい態度になり、政次郎は嬉しく思います。
それに対して賢治は、人造宝石への投資を断って以来、態度を硬化させ、反抗的になっていました。
父と息子の争いは数日おきに繰り返され、賢治は太鼓をたたきながらお経を唱え、町中を歩き回ったりします。
他にも、政次郎は賢治がトシに執心しすぎていることが気がかりでした。
それは兄妹愛の域を超えており、14歳になっていたクニが「通い婚」というほどだったのです。
1年半後、トシが就職することとなり、取り残された賢治は、国柱会という宗教団体に入り、宮沢家が代々信仰してきた浄土真宗を「嘘偽りだ」と批判するようになっていきます。
3か月後、賢治は「東京の(国柱会の)会館に置いてもらう」と家を出てしまいました。
しかし7か月後、トシの病状が悪化し喀血をしたことにより、政次郎は賢治を呼び戻します。
その症状は間違いなく結核のものでした。
『銀河鉄道の父』7章 あらゆじゅ
トシ(森七菜)の元へと向かった賢治(菅田将暉)のトランクの中には、『風の又三郎』が入っていました。
国柱会館へ向かった賢治は、門前払いをされてしまい、小さな出版社で幻滅の日々を送っていたのです。
生活は困窮をきわめていましたが、賢治は政次郎(役所広司)からの援助を拒否します。
そんなある日、賢治は文房具屋に並べられていた原稿用紙を見た瞬間、とつぜん頭の中に物語がほとばしるように沸き上がってきたのです。
なけなしのお金を原稿用紙につぎこみ、賢治は『風の又三郎』をかきあげます。
その時、賢治は26歳になっていました。
『風の又三郎』を喜んだトシは、何度も読み聞かせをせがみました。
賢治が「これからもたくさん書く」とが言うと、トシは賢治の童話が本になるのか?とたずねます。
しかし、出版のめどがあるわけでもなかったため、賢治はそれに答えることができませんでした。
それからも賢治は童話を書き続けます。
政次郎は「お金にもならない」と思ってはいましたが、黙認し、賢治と争う事もありませんでした。
そんなある日の事、賢治の童話『雪渡り 子狐の紺三郎』が愛国婦人という機関誌に掲載されます。
賢治は政次郎に「原稿料が出る」と大喜びで報告しました。
時を同じくして、賢治に農学校の教員にならないかという話が舞い込みます。
政次郎は「童話の邪魔をしたくない」と考えますが、賢治は「子どもの心が知りたい」と喜んで就職を決めるのでした。
学校の仕事と童話を書くことに集中し、お給料ももらえるようになった賢治に、政次郎は「普通の大人になれた」と目頭をあつくします。
翌年には、次女のシゲが、いとこの岩田豊蔵と結婚。
数年後には清六が盛岡中学を卒業し、花巻へと戻ってきました。
その頃には、トシはすっかり衰弱しており、最期の時を迎えようとしていました。
大正11年11月、賢治に「あめゆじゅとてちてけんじゃ(みぞれをとってきてください)」と頼んだトシは、水となったみぞれを賢治に飲ませてもらいます。
家族みんなが涙する中、政次郎は「家長の義務だ」と必死で叫びたいのを我慢し、トシの最期を見届けたのでした。
『銀河鉄道の父』8章 春と修羅
トシ(森七菜)の葬儀が終わった頃、清六が「東京に行きたい」と言います。
清六は東京で世の中を見てから、政次郎のあとを継ぐ決意をしていたのです。
賢治(菅田将暉)はと言えば、熱心に学校の先生をつとめ、そのかたわらで童話の原稿も書き続けます。
政次郎(役所広司)が賢治の姿に喜びを感じている中、賢治の詩と童話が岩手毎日新聞に掲載されました。
賢治の活動は順調にすすみ、岩手毎日新聞では「シグナルとシグナレス」の連載がはじまります。
政次郎は賢治の名を売る手助けをするために、新聞を大量に買い込み配って回るのでした。
翌年の春には、賢治の書いた『春と修羅』が本になり出版されます。
それは賢治が自費出版した本で、政次郎にお金の無心を一切せずに1千部つくりあげたものでした。
政次郎は『春と修羅』は賢治の人生そのものだと感じます。
『春と修羅』の中には、最愛の妹のトシの死を題材にした詩もあり、政次郎は賢治が妹の死を材料にしたと考えてしまいました。
『春と修羅』を自分の力だけで出版した息子の自立を喜びながらも、全く頼られなくなったことに政次郎は複雑な思いを抱いてしまったのかもしれませんね。
賢治を非難したくても、その気持ちは飲み込み、次の作品に期待してしまう政次郎は、変わらず父でありすぎているように見えました。
8か月後、賢治は2冊目の本『注文の多い料理店』を出版します。
政次郎は賢治の本を褒めますが、その際「教師も質屋もよわい人間相手の商売だ」と言ってしまいました。
その年の暮れ、賢治は学校を辞めることを決意してしまいます。
『銀河鉄道の父』9章 オキシフル
学校を辞めた賢治は、トシが結核の治療をしていた家で、1人暮らしをはじめます。
そこで賢治は、家事は全て自分でこなし、畑を耕す暮らしを送っていました。
自分の言葉のせいで学校を辞めたのではと考えた政次郎は、賢治に理由をたずねます。
すると賢治は「自分は口先だけの人間で、農民の苦しみを知らなかったから」と答えました。
やがて東京から清六がもどり、「宮沢商会」と屋号をかかげ、鉄材を商うことになります。
これで正式に清六が宮沢家の跡継ぎとなりました。
またもや11月がやってきたある日の事、清六が「兄さんがたばこを吸っていた」と言います。
それを聞いた、政次郎とイチはショックで顔色を変えます。
当時、結核菌はニコチンに弱いという俗説があり、おそらく賢治が結核を再発したのだろうと思ったからでした。
政次郎は急いで賢治に会いに行き、病院へ連れていきます。
診断は「結核ではない」というものでした。
しかし、賢治の具合は急速に悪くなっていきます。
熱も下がらず、呼吸も苦しそうで、どんどん痩せていくのに、賢治は畑仕事や作家活動などを精力的に続けていました。
再び病院で検査をするも、結核菌は検出されず、賢治は「ほぼ結核」とされ、養生するように医者から言い渡されます。
政次郎が3度目の賢治の看病生活を送ることになったのは、トシの死から10年後のことでした。
衰弱していく中でさえ賢治は無料で農民たちの相談におうじます。
しかし消耗は激しいものでした。
そんな日の事、政次郎は「南無妙法蓮華経」と唱える大きな声を耳にします。
それは賢治が血の気のない顔で、喀血をしながら一心不乱に唱えているものでした。
賢治の様子を見た政次郎は、遺言はないかとたずねます。
すると賢治は「遺言はないが、日本語訳の妙法蓮華経を一千部つくって配って欲しい」と答えます。
そのことを政次郎が褒めると、賢治は弟の清六にむかって「とうとうお父さんにほめられた」と言いました。
政次郎たちが部屋を出て、残ったイチは賢治に水を飲ませます。
その後、オキシフルを含ませた脱脂綿で体を吹いている最中に「いい気持ちだ」といった賢治は、そのまま息を引き取りました。
享年37歳でした。
『銀河鉄道の父』原作ネタバレ感想
『銀河鉄道の父』のラストは、賢治の死後2年経ったシーンで締めくくられます。
賢治の三回忌のために、35歳になった次女のシゲが里帰りしてくるのですが、連れてきた5人の孫に賢治が最後に遺した『雨ニモマケズ』を読み聞かせます。
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それを聞いた孫たちは、お説教に感じたのかつまらなそうにしますが、政次郎は「そうじゃないんだ」と言います。
政次郎は、賢治が書き遺した『雨ニモマケズ』は、言葉遊びをしていたにすぎないと解説するのです。
立派なことを書き連ねているけれど、最後には「私はなりたい」で締めくくられているという事は、ただの夢じゃないか…というのが、政次郎の主張でした。
賢治にさんざん困らされてきた政次郎だからこそできる解釈だと感じました。
また、賢治は政次郎がいなくなったのを見計らったかのように亡くなっています。
臨終に立ち会えなかった政次郎は「父親に死ぬところを見せなかったのは、賢治の遊びかいたずらだったんじゃないだろうか」と考えるのです。
このラストを読んだ時、私は政次郎が賢治の死後、何度も何度も愛する息子のことを考え「なぜだったんだろう」と自問自答を繰り返したのだな…と思い、涙がでそうになりました。
『銀河鉄道の父』を読むまで、宮沢賢治はまじめで立派な人だったという思い込みが一変し
最後の最後まで親不孝なやっちゃなぁ(涙)
と思わずにはいられませんでした。
恩を受けた農民や、生徒たちにとっては、立派な先生だったことでしょう。
けれど、ひとたび親というフィルターを通すと、どんなに立派な人であっても「仕方のない子」になってしまう一面を持っているのかもしれません。
有名な偉人たちは、よくよく知ってみると「え?頭おかしいの?」というような生き方をしてきた人も多いです。
反抗期のお子さんがいて
「わ~、この子、何なの…辛い」
と思っている親御さんは『銀河鉄道の父』を読むと
「もしかして将来、天才として名をのこす人間になるかもしれない!」
と思える…かもしれません。