【絹の道】を歩き、心霊スポットとして有名な【道了堂】の跡地を見てきました。近くに住んでいる方には、とても申し訳ないのですが、絹の道の周辺は…ちょっと感じるものが。
はちこのまわりでも数人が「絹の道には何かを感じる」と言ってます。絹の道のインスタ画像をあげた際には
「あそこはそっとしておいた方が良い」「行くと、毎回,霊が出るよね」
と言うコメントもいただきました。
心霊現象が起きなかったとしても、絹の道の付近は民家が少なく、とても寂しい雰囲気が漂っています。
そこで、今回は車を停めた絹の道資料館⇒【絹の道】⇒大塚山公園内の【道了堂】跡地までを見てまいりました。
※実際には片倉町の商店街シルクナードまで歩いています
また、なぜ絹の道や道了堂が心霊スポットと呼ばれるようになったのか、その理由も調査。詳しく調べてみると、その理由があまりにも衝撃的でした。
もしも【絹の道】を歩いてみようと思う方がいたら参考にしてみてください。
絹の道が心霊スポットになった衝撃的な理由
※記事文の大量コピーが増えています。コピー記事には対応をさせていただいております🙇
理由1:【道了堂】で老婆が強盗に襲われ無残な死を遂げた(1963年)
明治42年、永泉寺の別院として建てられた道了堂に、28歳の若き女性がやってきました。女性の名は浅井とし。
浅井としは、たった一人で道了堂を守ることになります。
浅井としが若い女性というだけでなく、神秘的な雰囲気を漂わせていたことから、道了堂は信仰を集め、たいへん賑わうこととなります。それは、遠く離れた土地からも、祈祷や祈願に多くの人間が訪れるほどの人気でした。
その後、浅井としは、道了堂で3人の子どもを産んだと言われています。ただ、この子どもたちの父親がはっきりしなかったことから、近隣住民との間に確執が生まれてしまいました。
「あの子の父親は誰なのか?まさか〇〇では」
そんな噂が広まったのかもしれません。3人の子どもうち2人は生後間もなく死亡してしまいました。
時がたち、老婆となってもなお、浅井としはたった一人で道了堂を守り続けていました。痛ましい事件が起きたのは、1963年9月10日、浅井としが81歳の時のことです。
道了堂に強盗が押し入り、浅井としは胸と喉を刺され、無残に命を奪われてしまったのです。
この事件の後、道了堂は無人となり荒廃していきました。八王子怪談を書いた川奈まり子さんによれば、彼女が子供の頃にはまだ建物が残っていたとのこと。しかし、結局、道了堂は放火され、消失してしまったのです。
やがて道了堂跡の付近に「老婆の霊が浮いて出る」と言う噂が広まることに。浅井とし殺害事件が【道了堂】を心霊スポットとする大きな理由になったことは、疑いようもないでしょう。
理由2:道了堂の近くへ立教大学教授が教え子を遺棄(1973年)
浅井としの事件から10年後の1973年。今度は、立教大学の教授が教え子の女子大生の命を奪い、道了堂の近くに遺棄するという事件が発生します。教授と女子大生は、恋愛関係にあり、痴情のもつれからの犯行でした。
教授は事件が明るみに出る前に、家族と無理心中をとげています。犯人である教授が死亡したため遺体の発見が遅れ、『女子大生はミイラ化して発見された』と新聞で報道されました。
実際に遺体が遺棄されていたのは、道了堂から2キロ近く離れた場所だったそうです。しかし、浅井としの事件からちょうど10年後に起きた事件と言うこともあり
「また絹の道(周辺)で恐ろしい事件が起きた」
と噂になりました。この事件により道了堂だけでなく、絹の道全体が心霊スポットとして強化されて行きます。
理由3:稲川淳二の語る「首なし地蔵」は道了堂の話
霊に詳しい稲川淳二が、道了堂のお地蔵様の話を「首なし地蔵」として広めたことが、道了堂を心霊スポットにした決定的な理由となります。
稲川淳二さんが、実際に夕方からスタッフさんと絹の道を歩いて道了堂まで行ったことを語っている動画を見つけました(現在は削除されています)
稲川淳二さんは怪談の中で、道了堂ではっきりと霊を見たと語っています!
稲川淳二さんによれば、道了堂の首なし地蔵さまには「ふざけて触ると祟りがある」という話があったそう。にもかかわらず、取材中に首なし地蔵を触ってしまったADさんが、帰宅直後に事故にあったと言うではありませんか。後日、再度、稲川淳二さんが道了堂跡を訪れた時には「首なし地蔵」はなくなっていたということです。
稲川淳二さんの話は、怖がらせようとした感じがなく、比較的淡々と語るので、リアルさが増して、怖い…。
怪談師さんによっては、無駄に大きな声を出すことがありますが、あれは音に驚いているだけ。稲川淳二さんの怪談を聞いた時は、思わず背筋がぞくりとしてしまいました。
さて、この知識をふまえた上で、実際の【絹の道】を見ていきましょう。
絹の道【道了堂】へ歩いてみる
【絹の道資料館】から出発します。(資料館の記事はこちら)
【絹の道資料館】の前の道を、北西へ向かって数分あるくと【絹の道】の道了堂跡(大塚山公園)へ向かう入り口に到着します。
二股に分かれている道を右側へと入っていきます。左側の道は車が飛ばしてくるので、気をつけましょう。
道を入ってすぐのところに、民家があるのですが、いたずら予防のためか、有刺鉄線がはられていました。
民家前の道路は舗装されており、きれいな花も咲いたりしています。写真だと平坦にも見えますが、それなりにきつい坂道です。
舗装された道路が終わり、山道になってしまいました。
すると突然、カントリーテイストの建物や小屋が現れます。人は住んでいなそう…。看板らしきものがあるので、かつては宿泊施設だったりしたのでしょうか?
トマトの苗が育っていたので、どなたかが今も管理はしているようです。
【絹の道】と刻まれた石柱のところまで到着しました。ここで道が3方向にわかれていたので、グーグルマップで調べてみると
【絹の道】の詳細地図はありません…。とりあえず、目の前に広がる階段をあがっていくことに。
と、真っ二つに横割れした石碑があらわれました。いったい何をどうしたら、こんな割れ方に?!
絹の道|道了堂跡(大塚山公園)
参道である急階段を登った先は、すっきりとひらけていて、石造物が点々と配置されていました。木製のパーゴラやベンチは、朽ちたり苔むしたりしています。人が利用しているとはとても思えません。
浅井としさんの晩年の道了堂は、こんな感じだったのでしょうか。
絹の道|道了堂の首なし地蔵はどこに?
かつて「首なし地蔵」と呼ばれたお地蔵さまは、稲川さんが話していたように見つからず、きちんとお顔がついた状態でした。
しかし、よく見ると、お地蔵様の胴体と首(頭)の色が違いますね。明らかに首の方が白くて新しいように見えます。
さらに、手も壊されてなくなっています。「首なし地蔵」にも手はなかったはずなので、このお地蔵さまが修復後の「首なし地蔵」である可能性が高いです。
亀の上で、赤ちゃんを抱いたお地蔵様が…。倒れる恐れがあるからでしょうが、縄でぐるぐる巻きにされているのは、少し怖いです。
調べたところ、道了堂跡に残っているのは築礎碑・奉献燈・延命地蔵尊とのこと。道了堂のお地蔵さま達には「命を守り、伸ばして欲しい」と願いがこめられています。
そんなお地蔵様たちですから、ただ触れただけでは祟らないかもしれませんが、危害を加えようとしたら…もしかするかもしれません。老朽化もしているので、お地蔵さま達はそっとしておいてあげてくださいね。
心霊スポット【道了堂】の跡地
道了堂があった場所は苔むした土台が残されているのみです。道了堂跡の周辺は大塚山公園という名がついているのですが、遊具などは一切ありません。
この記事には掲載はしていませんが、道了堂のすぐ近くにフェンスで囲われたお墓があります。
まだ新しいお塔婆もあり、「浅井としさんのお墓?」と想像してみたりもしました。
※八王子怪談を読んだところ、浅井としさんは道了堂跡に眠っているようです
以上が【道了堂】内のレポートになります。
大塚山公園をそのまま抜けていける道はないようなので、階段を下りて分岐した道まで戻りました。東へ進む道は、獣道に見えたので、西へと進むことに
※後から調べたところこの獣道は、中山白山神社の方へ通じていました
西へ進むと、急に視界が開けて、見晴らしの良い場所に。片倉やみなみ野方面が見渡せます。
階段をおりて、八王子バイパスの脇を右に歩いていくと、片倉町方面へ出られます。
またこの道が寂し気というか…車も入ってこれないようになっているので、人っ子一人おりません。
「シルクナード」に到着しました。商店街ですが、人の姿がなく、空いているお店もわずかです。ちょっと寂しい。
奥まで歩いて行ったら【金沢の味 福梅】の2号店がありました。
絹の道の旅はここまでとし、車を停めてある【絹の道資料館】へと戻りました。
八王子と怪談【コトリバコ】に関連性?八人の王子とは最強呪具ハッカイ?八王子市そのものが心霊スポットなのか…
【絹の道】を歩いた感想と注意点
霊というものがあるのだとしたら「霊が出てもおかしくはない」雰囲気はたしかに感じられる【絹の道】でした。
特に【道了堂】のあたりは、人の住んでいる場所から隔離されているため、昼間でもひんやりとした怖さがあります。
八王子本には「(絹の道には)かつてはお茶屋さんがあり賑わった」と書かれていましたが、その面影はまったく残っていません。
1.5キロという短い距離なので「平日に散歩がてら、1人で歩いてみるのもいいな」とも思ったこともありましたが、旦那さんと一緒にきて良かったです。
男性ならともかく、女性は昼間であっても単独で行くのは危険かと。道了堂の付近で不審者が出て、叫んでも…多分誰にも届きません。
友だちに「絹の道を歩いてきたよ」と話したところ「肝試しで来た人間を狙う強盗がでるんでしょ?」と言われました。霊よりも、悪意を持った人間の方が怖いかもしれません。
どうしても夜に肝試ししたい場合は、ケガや事故などを起こさないように気をつけてくださいね。
以上【絹の道】を歩いたレポートでした。
心霊スポットについて(追記)
この記事をアップした後、読んでくださった方から、何回かメッセージをいただきました。
「あそこはそっとしておいた方が良い」という書き込みの他に
「写真を見て感じるものがあった」
「近所に住んでいますが全然知りませんでした。子どもの頃から遊んだり、犬の散歩に行ったりしていました」
と言った内容になります。
まず誤解のないように言っておきたいのは、はちこは「心霊スポット巡り」として、その場を荒らしたりするために来訪しているわけではありません。
そもそも心霊スポットを前面に出す記事を狙って書こうとしていたら、最初から昼間に行ってレポートしてないですね。
また、これはあくまで個人的な意見なのですが、絹の道や道了堂については、誰も行かずに寂れさせてしまうより、子どもが遊んだり、犬の散歩に訪れるといった「普通に使われる」場所として再生、あるいは浄化された方が健全だと思っています。
寂れてるから、怖い場所になってしまうし、心霊スポットとして強化されてしまう気がするからです。
八王子には他にも心霊スポットと言われている八王子城跡などもありますが、歴史的にも貴重な場所だととらえています。
いつかは八王子城跡にも行くつもりでいますし、行ったらレポートもします。
その時に「心霊スポットとされている理由」についても調べて、記事にも書くでしょう。
八王子城跡が心霊スポットとされていることは事実ですし「心霊スポットだったら行きたくない」と考える人には必要な情報かもしれないですよね?
誰かの意に沿わない記事を書いてしまう事もあるかもしれませんが、常に万人に受け入れられる記事を書くことは無理だと考えているので、その点はご了承いただければ幸いです。